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春と嵐と
大学の頃
|春と嵐と
底なしの胃袋に、詰め込められるだけ詰め込んでいるような夕食も、食後の運動みたいな随分と威勢のいいピアノも相変わらずで。窓の外でビュゥビュゥと音を立てて吹いている風以外は昨日とも一昨日とも何も変わらない一日のはずだった。
「先輩、のだめは何で先輩のこと好きかわかります?」
三分前の和音の解釈と同じ調子で楽譜から目をそらさずに口にしたのだめは、一呼吸おいてから鍵盤の指を離した。
「は?」
「だからぁ、先輩のこと。のだめが、先輩のことを好きな理由です。」
それからもう一度ゆっくりと鍵盤に指を置いた。楽譜の真ん中、真ん丸に真っ黒いシの四分音符から目もそらさない。その顔を覗き込めば、少しだけ唇をとがらせて顎に皺を作っている。
「知るかよ、」
「知りたくないんですか?」
「別に。」
そうですか、とポツリと零した声がうまく聞き取れなかったのは、すぐさま十指がメッゾフォルテで鍵盤を叩いたからだ。それから三小節分遅れて、いつもだったらムキィだとか奇声と湯気を濛々とあげながら不服そうに精一杯に反論するのに、なんてことを楽譜の余白の向こうで思った。
指定外の速弾きで一曲弾き終えると、今度は楽譜からすぐに窓の外を見た。真っ黒い中にたまにチラチラとゴミだか葉っぱだかが舞っているのが見えるのを、のだめの視線の後について追って見る。
「外、すごい風ですね。」
のだめ、もう帰ります。鍵盤に向かって吐いた声をレッスンバックに楽譜と一緒にしまって、ピアノチェアから立ち上がった。
のろのろと緩慢に視界を動いていたはずなのに、振り向いたかと思えばのだめの顔はすぐそばにあった。気づけばやたらはっきりと、少し乾燥した唇が目の前で動いているのがわかって、すぐそこに、唇があるのだと思った。
胸倉ではないけれど、シャツの裾をギュッとつかまれてグイと顔が余計近づいた。
「おやすみなさい」
耳元で、湿った声が響いたかと思うと、のだめは早々と姿を消した。外の風が強く、玄関の扉がひどく大きな音を立てて、追って扉の前に立つと、タイルに薄い一片のピンクが見えた。
掌にとった桜の花びらは薄く頼りなくて、濃いピンクの筋が透けて見えた。それはさっき突然目の前に飛び込んできた唇を思い出させて、訳もなく胸をざわつかせていけなかった。
まるで春の嵐そのものだった。
底なしの胃袋に、詰め込められるだけ詰め込んでいるような夕食も、食後の運動みたいな随分と威勢のいいピアノも相変わらずで。窓の外でビュゥビュゥと音を立てて吹いている風以外は昨日とも一昨日とも何も変わらない一日のはずだった。
「先輩、のだめは何で先輩のこと好きかわかります?」
三分前の和音の解釈と同じ調子で楽譜から目をそらさずに口にしたのだめは、一呼吸おいてから鍵盤の指を離した。
「は?」
「だからぁ、先輩のこと。のだめが、先輩のことを好きな理由です。」
それからもう一度ゆっくりと鍵盤に指を置いた。楽譜の真ん中、真ん丸に真っ黒いシの四分音符から目もそらさない。その顔を覗き込めば、少しだけ唇をとがらせて顎に皺を作っている。
「知るかよ、」
「知りたくないんですか?」
「別に。」
そうですか、とポツリと零した声がうまく聞き取れなかったのは、すぐさま十指がメッゾフォルテで鍵盤を叩いたからだ。それから三小節分遅れて、いつもだったらムキィだとか奇声と湯気を濛々とあげながら不服そうに精一杯に反論するのに、なんてことを楽譜の余白の向こうで思った。
指定外の速弾きで一曲弾き終えると、今度は楽譜からすぐに窓の外を見た。真っ黒い中にたまにチラチラとゴミだか葉っぱだかが舞っているのが見えるのを、のだめの視線の後について追って見る。
「外、すごい風ですね。」
のだめ、もう帰ります。鍵盤に向かって吐いた声をレッスンバックに楽譜と一緒にしまって、ピアノチェアから立ち上がった。
のろのろと緩慢に視界を動いていたはずなのに、振り向いたかと思えばのだめの顔はすぐそばにあった。気づけばやたらはっきりと、少し乾燥した唇が目の前で動いているのがわかって、すぐそこに、唇があるのだと思った。
胸倉ではないけれど、シャツの裾をギュッとつかまれてグイと顔が余計近づいた。
「おやすみなさい」
耳元で、湿った声が響いたかと思うと、のだめは早々と姿を消した。外の風が強く、玄関の扉がひどく大きな音を立てて、追って扉の前に立つと、タイルに薄い一片のピンクが見えた。
掌にとった桜の花びらは薄く頼りなくて、濃いピンクの筋が透けて見えた。それはさっき突然目の前に飛び込んできた唇を思い出させて、訳もなく胸をざわつかせていけなかった。
まるで春の嵐そのものだった。
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