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贖罪ドライヴ
本当はリヨンに行きたかったのでは。と思う。
|贖罪ドライヴ
彼女が真剣な目を向けてかじりついていたのは、五線譜ではなく、コミックでもなく、観光地のガイドブックだった。ソファから足を投げ出してケタケタ笑いながらコミックを読んでいるいつもの姿の方がマシだと思う。背中をまん丸に屈みこむようにしてテーブルの上のガイドブックを十数センチの距離で覗きこんでいて、それが至極真顔なものだから何か声をかけずにはいられない様子だからだ。
何か言ってやらなければと次いで思ったのは、およそ一カ月近く彼女のことを公演を理由に放ったらかしにしてきたことを彼は自覚しているからだった。数センチの罪悪感はこの姿を見る前からちゃんと芽生えていて、久しぶりにゆっくりご飯でも作ってやろうと鍋の中にはスペアリブと白ワインが一時間前から仲良くとろ火にかかっている。そして三十分ほど前から姿勢を崩さずガイドブックに夢中な様子の彼女にその罪悪感はジワジワと左胸を浸食するので、小鍋にミルクを張ってゆっくりと温めショコラショーを拵えた。第一声が大切だ、なんて頭の中では彼にしては珍しい余計な思考がぐるぐるとしていたが、結局「ん、」と、それはいつもの彼らしい無骨な言葉がカップと一緒に差し出された。
「ほわぁー、ありがとうございます。ミントの匂い!」
テーブルに平行に顔を下げていたのでよくは見えなかったけれど、きっと難しい顔をしていると思っていたのに、カップを受け取った彼女の顔は拍子抜けするほどに柔らかく、鼻先をくんと湯気に寄せてみせている。隣に腰を下ろしながら、頭の中に用意された二番目の言葉を口にする前に彼女が今度はちゃんと彼に見せるように難しい顔を作って言った。
「免許って、取るの難しいですか?」
「は?」
「どこか行きたいの、」と二番目に用意された言葉で優しく聞いてやるつもりだった。開いたページがモンサンミッシェルやニースのビーチでなければ連れてってやろうとさえ思っていた。けれども相変わらずの素っ頓狂な質問に、つい、いつものぶっきらぼうなモノ言いをもって返事をしてしまう。
「世界の車窓から、鉄道旅行もいいんですけどね。のだめだって車が運転出来れば行きたいところに自分で行けるじゃないですか。メトロのストだって関係なしですから雨の日に先輩を迎えに行ってあげることだってできますし。のだめも車、運転できるようになりたいです。」
なんてスリリングなことを可愛く言うのだろうかと思う。料理は大抵失敗に終わる科学実験だし、注意力の無さはいつまでたっても子供みたいに走っては転んでばかりの彼女だ。そんな彼女の運転する車はマンガみたいにボンネットから黒煙を噴き出しながら彼の頭の中を走っている。
「今の季節だったら、ジヴェルニーとか。」
彼はクラクションを鳴らしながら至ってまともな真顔を作って言った。彼の頭の中が瞬時に大渋滞になった訳も分からない彼女は質問を上滑りされ小さく不思議そうな顔をして首を傾げた。
「今週末とか、オケも落ち着いたし。行く?」
春の始めの庭園が美しいのは決まりきったことだし、緑の中をゆっくりと歩くことは彼女にとっても想像するだけで目を細めるものだった。
「ほわぁー、いいですねぇ。蓮はまだかもしれないけどきっとキレイですねぇ。それに先輩とドライヴなんて久しぶりですね!」
そう言って簡単に破顔すると、早速ガイドブックのページを急いで捲り目当てのページを探している。とりあえず週末は彼女を運転席ではく助手席に落ち着かせることができたとホッとした様子で彼はカップを一口啜った。開かれたガイドブックには、グリーンと色とりどりの花々に木漏れ日。池には静かに青空が映り込んでうす桃色の蓮の花がポツリポツリとどこか頼り無さげに咲いている。彼も一緒に覗き込むようにカップをテーブルに置いたついでに顔を寄せる。すぐ真横、彼女は顔を傾げてニッコリと目を見て笑った。
「それから?ジヴェルニーの次は?どこに連れてってくれるんです?」
「…、」
崩れない笑みとかがんだ姿勢のせいか少し低い声。逸らさない目が余計に痛い。
「…怒ってる?」
「いいえ、別に?愛する妻をひと月も放ったらかしにする仕事熱心な夫にはもう慣れっこですし、のだめはよく出来た妻ですからお家でいい子して待ってますよ?」
絶対零度の笑顔は文句なしに可愛いものだったので、いつもの台詞に突っ込むことも忘れて彼は息を吹き返した罪悪感とともに彼女に合わせて笑うしか無かった。
キッチンからは、いい匂いがするばかり。
彼女が真剣な目を向けてかじりついていたのは、五線譜ではなく、コミックでもなく、観光地のガイドブックだった。ソファから足を投げ出してケタケタ笑いながらコミックを読んでいるいつもの姿の方がマシだと思う。背中をまん丸に屈みこむようにしてテーブルの上のガイドブックを十数センチの距離で覗きこんでいて、それが至極真顔なものだから何か声をかけずにはいられない様子だからだ。
何か言ってやらなければと次いで思ったのは、およそ一カ月近く彼女のことを公演を理由に放ったらかしにしてきたことを彼は自覚しているからだった。数センチの罪悪感はこの姿を見る前からちゃんと芽生えていて、久しぶりにゆっくりご飯でも作ってやろうと鍋の中にはスペアリブと白ワインが一時間前から仲良くとろ火にかかっている。そして三十分ほど前から姿勢を崩さずガイドブックに夢中な様子の彼女にその罪悪感はジワジワと左胸を浸食するので、小鍋にミルクを張ってゆっくりと温めショコラショーを拵えた。第一声が大切だ、なんて頭の中では彼にしては珍しい余計な思考がぐるぐるとしていたが、結局「ん、」と、それはいつもの彼らしい無骨な言葉がカップと一緒に差し出された。
「ほわぁー、ありがとうございます。ミントの匂い!」
テーブルに平行に顔を下げていたのでよくは見えなかったけれど、きっと難しい顔をしていると思っていたのに、カップを受け取った彼女の顔は拍子抜けするほどに柔らかく、鼻先をくんと湯気に寄せてみせている。隣に腰を下ろしながら、頭の中に用意された二番目の言葉を口にする前に彼女が今度はちゃんと彼に見せるように難しい顔を作って言った。
「免許って、取るの難しいですか?」
「は?」
「どこか行きたいの、」と二番目に用意された言葉で優しく聞いてやるつもりだった。開いたページがモンサンミッシェルやニースのビーチでなければ連れてってやろうとさえ思っていた。けれども相変わらずの素っ頓狂な質問に、つい、いつものぶっきらぼうなモノ言いをもって返事をしてしまう。
「世界の車窓から、鉄道旅行もいいんですけどね。のだめだって車が運転出来れば行きたいところに自分で行けるじゃないですか。メトロのストだって関係なしですから雨の日に先輩を迎えに行ってあげることだってできますし。のだめも車、運転できるようになりたいです。」
なんてスリリングなことを可愛く言うのだろうかと思う。料理は大抵失敗に終わる科学実験だし、注意力の無さはいつまでたっても子供みたいに走っては転んでばかりの彼女だ。そんな彼女の運転する車はマンガみたいにボンネットから黒煙を噴き出しながら彼の頭の中を走っている。
「今の季節だったら、ジヴェルニーとか。」
彼はクラクションを鳴らしながら至ってまともな真顔を作って言った。彼の頭の中が瞬時に大渋滞になった訳も分からない彼女は質問を上滑りされ小さく不思議そうな顔をして首を傾げた。
「今週末とか、オケも落ち着いたし。行く?」
春の始めの庭園が美しいのは決まりきったことだし、緑の中をゆっくりと歩くことは彼女にとっても想像するだけで目を細めるものだった。
「ほわぁー、いいですねぇ。蓮はまだかもしれないけどきっとキレイですねぇ。それに先輩とドライヴなんて久しぶりですね!」
そう言って簡単に破顔すると、早速ガイドブックのページを急いで捲り目当てのページを探している。とりあえず週末は彼女を運転席ではく助手席に落ち着かせることができたとホッとした様子で彼はカップを一口啜った。開かれたガイドブックには、グリーンと色とりどりの花々に木漏れ日。池には静かに青空が映り込んでうす桃色の蓮の花がポツリポツリとどこか頼り無さげに咲いている。彼も一緒に覗き込むようにカップをテーブルに置いたついでに顔を寄せる。すぐ真横、彼女は顔を傾げてニッコリと目を見て笑った。
「それから?ジヴェルニーの次は?どこに連れてってくれるんです?」
「…、」
崩れない笑みとかがんだ姿勢のせいか少し低い声。逸らさない目が余計に痛い。
「…怒ってる?」
「いいえ、別に?愛する妻をひと月も放ったらかしにする仕事熱心な夫にはもう慣れっこですし、のだめはよく出来た妻ですからお家でいい子して待ってますよ?」
絶対零度の笑顔は文句なしに可愛いものだったので、いつもの台詞に突っ込むことも忘れて彼は息を吹き返した罪悪感とともに彼女に合わせて笑うしか無かった。
キッチンからは、いい匂いがするばかり。
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